黒竜の巫女

 

 

〜一章〜

 

「・・・紫姫。わかっているな。」

 

この村の長である伽桜は、

自分の目の前に座っている娘、紫姫にむかって呟いた。

 

明日、紫姫はこの村の中央にある大きな湖に入る。

それは、百年ごとに繰り返される儀式であり、

巫女の一族にとって大切な務めだった。

 

湖に入った後、

巫女たちがどうなるのかは誰も知らない。

伝説では、

『この湖に住む五竜のもとに嫁ぐのだ』

と言われているが、

紫姫は結局、ただの生贄なのだろうと思っていた。

 

まだ、十八になったばかり。

したいこともたくさんあった。

でも、しかたがない。

生まれた時から、

紫姫はこのために生きてきたのだから。

 

それに、

まだ幼い妹たちが、犠牲にならなくてすむのなら、

それでもいいか、という気がしていた。

 

「わかっていますよ。父上。

・・・明日、湖に入ります。」

「ああ。」

長の顔で頷いた伽桜は、

一瞬、紫姫の父としての顔に戻って、苦しげな息を吐いた。

 

「すまない・・・な。」

「父上・・・。」

「お前の母もよろしく申していた。」

「そうですか・・・。」

 

紫姫の母は、

一週間前から姿を見せない。

生まれた時から、

竜王に捧げるために、

そのためだけに育ててきた娘。

それでも、

母としては耐えられない事なのだろう。

今は、離れで泣き暮らしているらしい。

 

涙を浮かべながら、妹が教えてくれた。

 

「いいんです。

幼い頃からわかってたことです。

それに・・・、

もしかしたら本当に、湖の底には竜王がいるのかもしれません。

もしそうだったら・・・、

私は湖の底からずっとこの村を見守るつもりです。」

気丈に言い放った紫姫に、

伽桜は力なく微笑んだ。

 

例え夢物語でも、

その話を信じたかった。

 

月が、

二人を煌々と照らしていた。

 

 

翌日の早朝。

紫姫は純白の花嫁衣裳を着て、

独り、湖のほとりに立っていた。

 

もうすぐ、この湖は一瞬だけ鏡のようになる。

その瞬間、彼女は湖に飛び込むことになっていた。

 

今まで波立っていた水面が、嘘のように静まり返ってゆく。

その水面が静止し、

一枚の大きな鏡のようになった瞬間、

紫姫は迷わず湖に飛び込んだ。

 

身体が、沈んでゆくのがわかる。

花嫁衣裳が水を吸って、

身体の自由を奪い始めた。

だんだん、意識が遠のくのを感じる。

だが、不思議と恐怖はなかった。

むしろ、安心できるような気がする。

紫姫はゆっくりと目を閉じ、

その意識が遠のくのに任せたのだった。

 

 

暖かな光を感じて、

紫姫はゆっくりと目を開けた。

 

「私・・・生きてる?」

 

「生きているよ。」

ぽつりと呟いた言葉に、

思いがけず、答えが返ってきて、

紫姫は慌てて声の方を振り仰いだ。

そこには、白銀の髪と瞳を持つ、

この世のものとは思えぬほど美しい人が立っていた。

 

「ようこそ参られた。我らが母の一族の娘よ。」

白銀の髪の男はそう言うと、

やわらかく微笑んだ。

「我は白竜。五竜の一人で創造をつかさどる者だ。」

「白・・・竜・・・?伝説は本当だったの?」

「おや、ただの伝説だと思っていたのか?」

「ええ。じゃあここは、本当に湖の底なの?」

「まあ、そんなものだ。

もっとも、普通の人間には、入ることも見ることもできないがな。」

「そう言えば、私、息をしているわ!」

「そなたは巫女の一族の娘。

我らが母の血族。

故に、ここの水はそなたを傷つけはしない。」

そう言って、白竜は、紫姫に手を差し伸べた。

 

「さあ、来るがよい。そなた、名はなんと言う?」

「紫姫、と申します。」

「シキ・・・母と同じ名か?」

「いえ・・・巫女姫さまは糸の姫と書いて糸姫だったとか。

私は紫の姫と書きます。」

「そうか。」

紫姫の紫の瞳をじっと見つめ、

白竜は納得したように頷いた。

「では、紫姫。これから我が城に案内しよう。

我らにはそれぞれの城があるのだが・・・。

今日は我の城に他の四竜が待っている。

我らの元に嫁いだ巫女は、

五竜のうちの誰かを選び、その妻となるのだ。

そなたも我らをすべて見てから選ぶがよい。」

「・・・わかりました。」

白竜の言葉に素直に頷き、

紫姫は白竜と連れ立って歩き出した。

 

歩きながら、紫姫は気になっていたことを尋ねた。

「五竜が・・・私たちの村を護ってくださっていると言うのは、

本当なのですか?」

「本当だ。正確には、我らとそなたたち、巫女が、だがな。」

「私たち?」

「我らは神竜の父と、巫女の母の間に生まれたもの。

純粋な竜ではない。

だから、五竜なのだ。

父の力を五人分にわけて受け継いでいる。

我らは協力し合ってこの村を守っているが・・・、

我らだけでは、力を上手く制御することが難しいのだ。

それで、お前たち巫女を百年に一度妻にむかえ、

その力を借りている。」

 

それが、伝説の真相だったのだ。

 

「妻となった巫女たちと、我ら五竜には絆ができ、

護る力が強くなる。

そういうものなのだ。」

「そうですか・・・。

でも、そうなると巫女の数の方が多いのでは?」

「我らは妻を複数持っている。

我らの元に嫁いできた巫女はそなたで十人目だが・・。

我の場合は、すでに二人の妻がいる。」

 

話しながらしばらく歩くと、大きな白い城が見えてきた。

「あれが我が城、白竜の城だ。」

「これが・・・。美しい城ですね。

白いと思ったのに、よく見ると虹色に光っている?」

「この城は貝殻でできているのだ。」

「えっ!」

紫姫が驚くのも無理はなかった。

白竜の城は、広く、大きく、

貝殻で作るとしたら、

どのくらいの量がいるか見当もつかないくらいだったからだ。

「我らの力を持ってすれば、このくらいのことは造作もない。」

自分の城を眺めながら、

白竜は呟いた。

「他の竜の城もそれぞれ素晴らしい。

機会があれば見ることもあろう。」

そして、白竜はその大きな城の門の中に紫姫を招き入れた。

 

 

「おかえりなさいませ。」

白竜と紫姫が連れ立って城の中にある広間に入ると、

蒼い髪をしたこれまた美しい人が、

やわらかな微笑を浮かべて出迎えた。

 

「お待ち申しておりました。」

 

そう言った彼の後ろには、

これまた揃って美しい男性が三人立っていた。

「では、我らの紹介をしよう。」

そう言った白竜が、ほかの四人の隣に並ぶ。

 

「我は白竜。神竜の力のうち、創造をつかさどっている。」

「ようこそ、巫女姫。私は蒼竜です。水脈をつかさどる竜。」

白竜の隣にいた先ほどの蒼い髪の男性が、

優しい笑みを浮かべながら言った。

「十人目の巫女か・・・。名はなんと言う?」

次にそう尋ねてきたのは、紅い髪の男性だった。

紅い瞳が、じっと紫姫を見つめている。

「紫姫、と。」

「シキ・・・。成る程。十人目に相応しい名だ。

我らが母と同じ名。

歓迎しよう。俺は紅竜。炎脈をつかさどるもの。」

 

どうやら、この名は特別なものらしい。

竜でも、母親を慕う気持ちはヒトと同じなのだろうか?

「そうだね。それに力も強いし、しっかりしている。

湖に入ってこんなに冷静に僕たちの前に出てきた巫女はいない。」

感心したようにそう言って笑ったのは、緑の髪をした男性だった。

「僕は緑竜。地脈をつかさどる竜。よろしく。」

一人だけ短めの髪の緑竜は、他の竜王たちより幼く見えた。

例え、どんなに幼く見えようが、

竜である限り、紫姫よりずっと永い刻を生きているのだろうが。

 

「・・・・・・黒竜。」

 

たしなめるような蒼竜の声に、最後の一人が、ゆっくりと顔を上げた。

色鮮やかな他の竜に比べて、見慣れているはずの漆黒の髪と瞳を持つ男性。

けれど、その存在感と圧迫感は、五竜の中で一番強かった。

ビリッと紫姫の身体に電流のようなものが走る。

知らず、身体が震えた。

 

「破壊をつかさどる、黒竜。」

 

低い美声で、それだけ告げた彼は、ふいと踵を返した。

「黒竜!何処に行くの?」

「城に戻る。もう私の役目は終わったであろう。」

短くそう答えた黒竜は、扉の前で、ふと立ち止まった。

 

「紫姫・・・といったか。」

「はい。」

「そなたは力が強いようだ。歴代の巫女とは比べ物にならぬくらいに。

飲み込まれぬよう、気をつけるがよい。」

 

飲み込まれる?

 

その言葉の意味を尋ねようとした時には、彼の姿は消えていた。

「相変わらずだね、黒竜は。」

「あやつは己のことをよく知っているだけだ。」

呆れたように言った緑竜に対し、

静かにそう呟いた白竜は、呆然としたままの紫姫に向き直った。

「さて、十人目の巫女、紫姫よ。

そなたは誰の妻となる?」

しばらく俯いた紫姫は、次の瞬間、きっぱりと言い放った。

「私は、黒竜様の妻になります。」

その場に、沈黙が落ち、だいぶん経ってから、白竜が口を開いた。

 

「何故、あやつを選んだ?」

「何故?五竜から選べとおしゃったのは貴方でしょう。」

「お前も感じただろう。黒竜の力の強さを。」

まるで恐れているように、紅竜が言った。

「ええ。でも、それがどうかしましたか?」

「恐ろしくは、ないのですか?」

優しく尋ねたのは蒼竜だった。

「恐ろしいです。けれど、その恐れは、避けるべき類のものではありません。」

「巫女が僕たちの妻となる意味を聞いた?」

「ええ。力を、補い、制御するためだと。」

「そう。それが巫女の・・・ヒトの役目。

だから僕らは力に応じて複数の妻を持っている。

けれど、黒竜には、妻が一人もいない。

何故だかわかる?」

 

「巫女の力などいらないくらい本人の力が強いからですか?」

「半分正解だな。」

緑竜の後ろから紅竜が呟いた。

「黒竜がつかさどるのは破壊。

破壊は制御不能な純粋な負の力。

だからヒトの力などいらないんだ。

むしろ、強大な力を押さえることの方が重要なのさ。

強大な力を押さえ込むのには、

もっと強大な力が必要となる。

下手をすれば自分がその力に飲み込まれ、周りを壊すこともある。

だから黒竜は滅多に外に出ないし、妻も娶らない。

・・・その必要がないから。」

その言葉に、紫姫は小さく笑った。

 

謎が、解けた。

 

「やっぱり私は黒竜様に嫁ぎますわ。」

「だから、何故!」

「・・・私は何人かのうちの一人なんて嫌です。

他に妻がいらっしゃらないのなら好都合。」

紫姫の言葉に、蒼竜が目を見開いた。

「何を・・・。」

「一度死んだと思ったこの命です。何を恐れることがありましょう。

補わなくてよい力なら、

むしろ押さえつけなくてはならぬ力なら、

私が一緒に押さえましょう。」

 

そうして、紫姫は白竜を見上げた。

「五竜から夫を選べと言われたこと、お忘れではありませんよね?」

「ああ。・・・そなたは本当にあやつでよいのだな?」

「はい。」

「そうか、ならばそうするがよい。」

「白竜?」

白竜の言葉に、他の竜たちが驚いたように彼を見つめた。

 

「幸い、今補わなければならぬ力はない。

確かに、黒竜はヒトの力など必要としてはいないが・・・。

あやつ自身を支える者が必要かもしれぬ。」

「・・・・・・では、私が黒竜の元まで連れてゆきましょう。」

小さく息をついてそう言った蒼竜に、白竜は頷いて見せた。

「ああ、そうしてくれ。ただし、紫姫よ。

覚悟はしてゆくがよい。

あやつの飼っている深淵を垣間見る覚悟を。」

 

静かに告げられたその言葉は、

紫姫の心の奥に、強く響いて、消えた。

 

 

 

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