黒竜の巫女
〜終章〜
突然、世界を覆った金色の光は、
総てを浄化した。
その光を、彩を、力を感じて、
糸姫は顔を上げた。
結界をものともせずに溢れ出る黄金の光。
再生の力。
ああ、それでは。
奇跡は、起こったのだ。
紫姫は、雪解の力を受け止めたのだ。
糸姫は、躊躇わず扉を開けた。
*
「・・・生きている。」
雪解は小さく呟いた。
死んでいるかのような白い白い顔をした紫姫は、
それでも、確かに生きていた。
自分の身体から、力が溢れてゆくのが分かる。
あれほど苦労して押さえつけていた自分の力が、
制御できるようになっていた。
「奇跡が、起きたのか。」
「いいえ。起こしたのよ。」
呆然としたままの雪解にそう答えたのは、
糸姫だった。
「紫姫が、奇跡を起こしたの。・・・見なさい。」
糸姫に言われて、
紫姫をよくよく見てみれば、
彼女は胸に黄金の玉を抱いていた。
「それは、貴方の竜玉。竜の魂にして力の核となるモノ。」
そして、糸姫は、自分が抱えていた神竜の竜玉を掲げて見せた。
「竜は、自分の子供に竜玉を与えるの。
でも、貴方たちは混血だから、受け継いでいないと思っていた。
けれど、違ったのね。
貴方には受け継がれていたんだわ。」
そして、糸姫は優しげな眼差しで紫姫を見つめた。
「この子が、貴方から竜玉を取り出したのね。
だから、力が暴走しなかったんだわ。」
「取り出す?どうやってです。彼女は痛みで動くことも出来なかったのに。」
雪解の質問に答えたのは、
糸姫ではなかった。
彼女の竜玉から現われた虹色の人が微笑む。
「彼女は、勇敢に戦ったのだよ。」
「父上!」
「・・・世界は、救われた。雪解、そなたと、その娘の力で。」
静かにそう呟き、
彼は、透き通った身体のまま、
紫姫に触れた。
「彼女は、自分の弱さに勝ったのだ。
死んだ方が楽になれるとわかっていたのに、
彼女は諦めなかった。
精神世界で、彼女は戦い続け、そして勝ったのだ。
そして、竜玉を黄金に変えた。
漆黒だったそなたの玉を。」
その言葉に、雪解は自らの手を見下ろした。
紫姫が全力で掴んでいたその手は、
その爪によってあちこちに傷を作っていた。
深く抉れた傷跡に、
彼女の苦痛の凄まじさを知る。
「その玉を清水に3度浸せ。その清水は薬となる。」
神竜の言葉に、
雪解は紫姫から玉を取り上げ、
言われたとおりにした。
「それをその娘に飲ませろ。身体は、死の一歩手前まで衰弱している。
その薬を毎日飲ませるんだ。
それでも、数年は目覚めぬだろう。」
それは、彼女の身体と、力を元に戻すための時間だ。
雪解の力に喰い荒らされた身体と精神は、
そう簡単には癒せない。
「雪解。そなたは黒竜としての力を完全に制御できるようになった。
それは、その巫女のおかげ。
生涯、彼女を慈しめ。」
父の言葉に、
雪解は深く頷いた。
*
あの日から。
世界が救われたあの日から、
人間の時間で五年が経った。
水鏡に映る紫姫の家族は、
今も元気に暮らしている。
雪解は傍らに横たわる紫姫を見つめた。
あの日から、一度も目を覚まさない愛しいひと。
五年の間、彼は彼女の寝顔を見て暮らした。
眠ったままの彼女の髪を梳き、
毎日玉を浸した清水を飲ませる。
時々は姫水が遊びに来たり、
四竜が様子を見に来たりする。
天井が水面になっている、
紫姫の私室で、
雪解は彼女と暮らした。
ただ、その瞳が開かれる日を待って。
「・・・愛している。」
幾度となく囁かれた言葉は、
眠ったままの巫女に捧げられていた。
*
生まれ来る記憶は、常に水の中にある。
紫姫の目に、最初に映ったのは、
ゆらゆら揺れる蒼い水面だった。
そして、明るい黄金の光が、
暖かく自分を照らしている。
嘘のように、身体が軽かった。
「私・・・生きているの?」
呟いたはずの言葉は、
掠れて、声にならなかった。
自分は、ちゃんとここに存在しているのだろうか?
ゆっくりと頭を巡らすと、
漆黒の闇が広がった。
それは、雪解のローブ。
自分の隣で安らかに眠る、
漆黒の髪と瞳を持つ人。
安らかな寝顔に、
くすりと笑う。
総てを、理解した。
自分は、無謀な賭けに勝ったのだ。
この人の妻として、
黒竜の巫女として生きることを許されたのだ。
知らぬうちに、紫姫の頬を涙が伝う。
「・・・雪解。」
そっと呟いた言葉に、
思いかけず返事が返ってきた。
「・・・・・・泣くな。」
微睡もない唐突な覚醒だった。
*
五年ぶりに見る紫姫の紫の瞳に、
自分の姿が映っている。
眠っている間に目覚めたらしい。
思うより先に、言葉を呟いていた。
五年ぶりに見る顔が、
泣き顔だなんて。
五年前の彼女を思い出してしまうから。
横たわったまま、紫姫の頬に指を伸ばす。
そっと涙の雫を拭うと、
ようやく紫姫は微笑みを浮かべた。
「愛している。」
やっと告げられた言葉は、
また、紫姫の涙を誘う。
「私は、雪解の妻に、黒竜の巫女になれたのね?」
「ああ。そなたは、私のたった一人の巫女だ。」
五年ぶりに交わす口付けも、
涙の味がした。
終
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