黒竜の巫女

 

 

〜三章〜

 

雪解は最初に言ったとおり、

紫姫のすることにまったく干渉をしなかった。

 

城のあちこちを見て回った紫姫には、

いろんな疑問があって、

それを雪解に聞いてみようと思ったのだが、

彼は一日の大半を自室で過ごしていて、

そこは唯一紫姫が入ることを許されない部屋なだけに、

彼との接触はほとんどないも同然だった。

 

代わりに、彼女を城のあちこちに案内し、

疑問のあれこれに答えてくれたのは、

この黒竜の城を管理している櫂という青年だった。

 

青年、というのは正しくないのかもしれない。

彼は、神竜の部下で、それ故に雪解に仕える水の眷属。

しかも、両性体なのだという。

聞けば、五竜にはそれぞれ彼のような存在がついているらしい。

それが、神竜の親心なのだろうか?

 

ともかく、ここ数日の暮らしでわかったことは、

この城が黒真珠でできていることと、

五竜の城にはそれぞれの城をつなぐ移転装置があって、

自由に行き来できるということくらいだった。

 

その装置があったからこそ、

あの日、

雪解は白竜の城に来れたのだ。

 

「黒竜様はお気の毒な方なのです。」

 

櫂は口癖のようにそう言った。

雪解は、その強大な力を自らの身体に押しとどめるために、

いつも自室に閉じこもっているのだという。

あの部屋にはなにやら仕掛けがあるらしく、

あの中にいるときだけは、

その力が軽減されるのだそうだ。

 

「でもこの間この部屋にいたわよ?」

最初の日、蒼竜に連れてこられた部屋は、

今では紫姫の私室となっていた。

「黒竜様の自室だけでなく、この城全体にも術が施されているのです。

術の中心があの部屋なので黒竜様は大抵あの部屋におられますが、

この城内でしたら、黒竜様は自由に動き回れます。」

「ふ〜ん。」

興味深げに頷いて、紫姫は空を見上げた。

空、というのもおかしなものだったが。

何せ、彼女が見上げた先には水面があるのだから。

 

「ここにいると湖の中に住んでることを実感するわ。」

そう呟くと、櫂は不思議そうな顔をした。

その表情にはっと気付く。

それはそうだろう。

彼もまた、水の眷属。

異形の者なのだ。

水中で暮らすことが当然の彼に、

人間である紫姫の違和感など、わかるはずもない。

なんとなく沈黙が落ちたところに、タイミングよく、ドアが開かれた。

 

そこに立っていたのはどこか紫姫に似た美しい女性。

蒼竜の妻の一人、姫水だ。

 

彼女はちょうど百年前の巫女。

紫姫の曽祖父の姉だという。

 

もっとも、ここでの刻の流れは緩い。

彼女の容姿は、嫁いだときから衰えておらず、

見た目には二人は姉妹のように見える。

 

姫水はここに慣れぬ紫姫のために、

蒼竜が寄越してくれた話し相手だった。

 

「こんにちは、紫姫。」

「こんにちは、姫水。今日も来てくださったんですね。」

嬉しそうな紫姫の言葉に、姫水は苦笑を漏らした。

「相変わらず退屈しているようね。」

「ええ。」

誰かさんはちっとも姿を見せないし、と呟いて、

紫姫は僅かに目を伏せた。

「紫姫様、なにか持ってきましょうか。」

櫂の言葉に、お願い、と返すと、

彼は静かに部屋を出て行った。

 

「ここの管理者は物静かでいいわね。」

心底羨ましそうに言った姫水に、紫姫はふと笑った。

蒼竜に仕える管理者は、ものすごく口うるさいのだという。

「でも、ここは静か過ぎますから。」

「そうね、黒竜様も物静かな方だし、寂しいのではなくて?」

姫水の言葉はそのとおりだったのだけれど、認めるのは悔しい気がして、

紫姫は無理に笑みを浮かべた。

「静かですけれど、眺めはいいし、本も沢山ありますから。」

 

そう、この城で紫姫が一番驚いたのは、書庫の存在だった。

雪解が集めさせたのだという古今東西のその書物は、

紫姫の心を慰めてくれた。

もしかしたら、雪解も、孤独を癒すためにこれを造ったのだろうか。

そうだとしたら、少し切ない気がした。

 

「眺め・・ねぇ。確かにここは眺めのいい城ね。

特にこの部屋は硝子を使って外が見えるようにしてあるし・・・。

こんな凝った造りになっているのはこの城だけなのよ。」

百年の年月の間にすっかり水中の世界になじんでしまった姫水は、

そう言って感嘆のため息をついた。

「そうなんですか?」

「ええ。どの方の城も皆それぞれ素晴らしいものだけれど、

ここはまた特別なのよ。

私も貴女が来て初めてこの城に入ったのだけれど、

この部屋には驚かされたわ。

この私でもここから外を眺めていると村が恋しくなるもの。」

 

その言葉に、紫姫は驚いた。

彼女は、どの城にもこのような部屋があるのだと思っていたからだ。

 

「村から来る巫女たちの為に、こういう部屋があるんじゃないんですか?」

「まさか。」

紫姫の言葉に、姫水は呆れたように笑った。

「村を捨ててここに来た巫女たちに里心を起こさせてどうするの?

たいていどの方も、巫女を城の中に閉じ込めて、

城の心地よさ、快適さを見せ付けるわ。

この世界の素晴らしさをね。

でも、黒竜様は違うのね。

よほど貴女が帰りたいと言わないという確信があるのか・・・。」

 

「そんなものはない。・・・最も、帰りたくとも帰れぬがな。」

 

突然割り込んできた声に、

二人の巫女ははっと振り返った。

「ゆ・・黒竜!何故ここに?」

「櫂がこれを持っていけと。」

そういって手渡されたのは瑞々しい果物だった。

 

どうやって入手しているのか常々不思議だが、

ここではきちんと食事が出たし、

望めばこのような果物や飲み物も出てきた。

 

「あ、ありがとう。」

「礼には及ばぬ。・・・久しいな、姫水。」

「お久しぶりです、黒竜様。」

そう返した姫水の身体が、小刻みに震えているのに紫姫は気付いた。

黒竜の力に、巫女としての身体が反応しているのだ。

もっとも、姫水はその事態には慣れているらしく、

震えてはいても平然としている。

 

竜というものはそういうものなのだと思っているのかもしれなかった。

 

「ちょうどこの部屋の素晴らしさについて話していたところですわ。

わざわざこんな部屋をお造りになるなんて・・・。」

「巫女をみすみす追い出したいのかと?」

無表情のまま後をつないだ雪解に、姫水は頷いた。

「ええ。」

「これは別に巫女の為に造ったものではない。」

「え?」

「私は妻を娶る気など毛頭なかったからな。

城を造ったときも巫女の部屋など考えてもみなかった。」

「じゃあ、この部屋は?」

紫姫の呟きに、雪解はふと自嘲の笑みを漏らした。

「これは私のためのものだ。母が勝手に造っていった。」

「巫女姫様が?」

「そうだ。」

「でもなんのために?」

首を傾げた姫水に、

紫姫は独り言のように呟いた。

「貴方に、外の世界を見せたかったから?

外に・・・他の竜とは違って外に自由に出られない貴方に。」

「まぁ、そんなところだろうな。

別にそのことを苦痛に思ったことなどなかったのだが。」

そんなことを事も無げに言う雪解を、

紫姫は悲しいと思った。

 

ヒトにとっては永遠にも等しい時間を、

この広いがために寂しい城で、

彼は独りで過ごしてきたというのに。

「外に出たいとは思わないの?」

「さあ。出たことがないからな。」

「えっ?」

「一度も・・・ですの?」

二人の巫女に、同時に問われ、

雪解は、知らず、苦笑した。

「そんなに意外か?

力を持つそなたたち巫女にならわかるであろう?

私の身の内にあるこの力の強大さが。」

その言葉に、二人は沈黙する。

 

こうして、普通に話しているように見えても、

雪解は常にその力を全力でもって押さえつけているのだ。

その負担がどれほどのものか、

力がある故に、二人にもそのことがわかる。

 

「その力は、なくなることはないの?」

「・・・・・・・まあ、ない、な。」

妙に歯切れ悪く呟いた雪解は、

ひらりと手を上空に翳した。

途端に、硝子の向こうの景色が暗くなる。

「私と同じようにしてみるがよい。」

その言葉に首をかしげながら、

紫姫が同じように手を翳すと、

今度は前のように明るくなる。

「夜は、暗くして眠るがよい。

夜、この景色を見ては、

村が恋しくなることもあろう。

そなたの力は私には必要ない故、

帰せるものなら帰してやりたいが、

ここは現世とは違う次元。

叶わぬことだ。」

「違う・・次元?」

「ああ。ここは湖の底にして、

底にはあらず。

湖の底の次元を歪め、

我らの支配する次元につなげてあるのだ。

それ故に、

一度ここに来た娘は、

老いることもなく、

現世に戻ることもない。」

 

告げられた真実は、

目の前にいる百年前の巫女が証明していた。

 

それでも姫水はゆるりと笑う。

 

「ここはいいところよ。

村が恋しくないと言えば嘘になるけれど、

死ぬのだと思って湖に飛び込んだのだから、

生きているだけでも奇跡だわ。

それに、蒼竜様の妻になれて、幸せだとも思っているわ。

たとえ、ヒトの娘としての幸せではなくても。」

 

その言葉に、紫姫は少し沈黙した。

姫水は、本物の蒼竜の妻だ。

蒼竜の妻として、彼の力を補う立派な巫女。

でも、紫姫は違う。

妻とは名ばかりで、

なんの役目も果たしてはいない。

雪解がその力を押さえ続けるなら、

それを助けたいと思ったのに、

そうする方法もわからないままだ。

 

私は、何のためにここにいるのだろう?

 

父上にも、湖の底から村を見守ると言ったのに、

それさえも叶ってはいない。

私は、何をすべきなのだろうか?

自問の答えは出なかった。

 

 

「では、また遊びに来るわ。

次は蒼竜様に面白い遊具でもいただいて持ってくるわね。」

そう言って、姫水は帰っていった。

残されたのは、雪解と紫姫。

「・・・あの・・。」

「なんだ?」

「私はここにいてもよいのでしょうか?」

遠慮がちに呟かれた紫姫の言葉に、

雪解は小さく笑った。

「おかしな娘だ。

そなたがここにいたいと願ったのではなかったか。

それとも、

こんなつまらない城で暮らすのは、

もう嫌になったか?」

「違います!

・・・・違いますけど・・。

私はここにいても何もできない。

貴方の助けになることも、

村を見守ることも。」

 

ふと、空気が揺れ、

紫姫の髪がするりと一房、絡め取られた。

「そなたは気付いていないようだが・・・。

そなたが来てから、私の負担が減っているのだ。」

「え?」

「まあ、減ったといってもたいした量ではないのだが。

それでも確かに負担は減っている。

それは、そなたの力だ。

誇りに思っていい。

その力も、村を護るためには必要な力だ。」

漆黒の瞳が、紫姫を見つめていた。

「自分が役に立たぬなどと思い悩む必要はない。

それを言うならば、私など、

存在自体が必要ないと思われても仕方ないからな。」

「そんなことは・・!」

「ああ。わかっているよ。私の力も必要なものだ。

必要とされるときが極端に少ないだけで。

昔、気の遠くなるような昔だが、まだ幼い頃、

私もそなたと同じように悩んだことがあった。

自分は、何のためにここに・・・、

五竜の一人として存在しているのだろう、とな。

その時に私を救ってくれたのは母だ。

他の四竜も母の存在に救われた。

だから我らは母の為に母の村を、人間を、守護しているのだ。

竜は情は深いが残酷な生き物。

心惹かれねば血を分けた母だとて容赦はしない。

ましてや非力な人間の女など。」

そう言いつつも、

その非力な人間の女である紫姫を見つめる目は優しい。

 

(大丈夫。怖くない。)

 

紫姫はそっと心の中で呟いた。

 

この人は、強大な力の奥に、

孤独で寂しい魂を持っていて。

でも小さな希望ゆえに優しさを失わず、

ずっと永い刻を生きているのだ。

 

この人が愛しい。

 

紫姫は今、心からそう思った。

 

 

 

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