黒竜の巫女

 

 

〜五章〜

 

ぱしゃん・・・

 

ぱしゃん・・・・・

 

断続的に波うつ水鏡に、

雪解は、眉ひそめて振り返った。

 

鏡に映るのは、

四竜。

 

白銀の光を翳しているのは、

厳しい顔をした白竜。

蒼い膜を張り巡らしているのは蒼竜。

身体の前に紅の球体を抱え込んでいるのは紅竜。

大地を抱くように跪いているのは緑竜。

 

彼らの向こうには、昏く巨大な力がある。

 

遠く離れたこの水鏡にも影響を及ぼすほどの力。

 

雪解は、水鏡から目をそらし、

自分の手をじっと見つめた。

自分の、この黒竜の力なら、

この力に対抗できるはずだ。

潜在的には、その力がある。

 

だが・・・。

 

硬く握り締めた手のひらに、

長い爪が食い込み、

青みを帯びた血が、ぱたぱたと流れ落ちる。

 

だが、

雪解はそのことに気付きもせず、

ただ、じっと、立ち尽くしていた。

 

 

数日後。

肌に感じる痛みに、紫姫は、はっとして立ち上がった。

この気は、白竜のもの。

彼が、この黒竜の城にやってきたのだ。

しかも、妙に気が荒れている。

 

何かあったのだろうか?

 

彼ら四竜がいなくなってから、

ずっと感じていた空気は、

ここ数日で、とても強くなっていた。

白竜が返ってきたのなら、

何か教えてくれるかもしれない。

 

紫姫は、慌てて部屋を出た。

 

 

「黒竜。」

白竜の呟きに、

雪解はゆっくりと顔を上げる。

だが、その目は、いまだに水鏡の中を追っていた。

「やはり、駄目だったのだな。」

「ああ。我ら四竜の力をもってしても、

・・・どうすることもできなかったのだ。」

苦しげにそう言った白竜は、

自分も水鏡を覗き込む。

そこには、今まで生きてきた千数百年の間には、

起こったことのなかった事態が起きていた。

 

原因不明の病にあえぐ人々の中に、

見知った面影を見つけて、

白竜は、ふと顔を顰めた。

「この者たちは・・・・。」

「・・・ああ。紫姫の・・・あの娘の母と妹だ。」

「そうか。・・・母上の一族・・・。

まさか、今回のことは巫女のせいになっているのか?」

「いや。最初はそう言う者もいたようだがな。

もう、それどころではないようだ。」

「・・・・・そうか。

だが、どちらにしても、この事態は、

我ら、五竜の責任だ。

我らが揃っていながら、

この状況をどうにもできないとは。」

「・・・・とうとう、この力を、

使わねばならぬ時が来たのかもしれない、な。」

静かに呟かれた言葉に、

白竜がはっと顔を上げる。

「それは・・・!」

「わかっている。この力は最後の手段。

総てを、無に帰す力だからな。」

「ああ。それに、まだ何か打つ手があるかもしれない。

緑竜を使いにやらせた。

父上の元にな。」

「・・・そうか。」

「父上ならば、もしかすると、

原因を知っているかもしれないからな。

なにせ、我らの数百倍は生きているのだから。」

「・・・そうだ、な。」

 

そう言いつつも、彼らは、

それが気休めであることを知っていた。

例え、父の、神竜の力をもってしても、

この事態が打破できるとは思わない。

ただ、それでも、最後の時まで、

あがくしかない。

 

二人の竜王は、

同時に重いため息をついた。

 

 

「では、私は帰るとしよう。

とりあえず、結界は強化しておくことにするぞ。

我らのいなかったぶんだけ、結界が弱まっているからな。」

「ああ。この湖の次元内だけでも、

結界を強化すべきだろう。

せめて、巫女たちだけでも安心させねばならぬ。

すでに、不安が広まっているようだ。」

「巫女たちは元々人間だからな。

精神の不安が力の安定を失わせる。」

独り言のように、そう呟いた白竜は、

苦い顔をしたまま踵を返した。

「ではな。何か起きたら、櫂を寄越せ。」

「ああ。」

白竜が出てゆき、しばらくして、

城内から、彼の気が消える。

その気配に入れ替わるように現れた気配に、

雪解ははっとして立ち上がった。

そのまま、素早く部屋の扉を開け放つ。

 

そこに座り込んでいた紫姫の姿に、

雪解は一瞬、目を見開き、

小さくため息をついた。

 

「・・・・聞いていたのか。」

 

「ごめんなさい。」

沈黙の後に落ちてきた静かな言葉に、

紫姫は、俯いたまま謝った。

立ち聞きするつもりではなかったが、

結果的には同じことだ。

「白竜の気と、自分の気を合わせたのか。」

「・・・・ええ。

でも、普段の貴方なら気付いたでしょう?」

「そうだな。私も、白竜もまったく気付かなかった。

それだけ、私たちの力には余裕がないのだ。」

そう言って、雪解は、紫姫を立ち上がらせた。

「・・・村が・・・どうにかなっているのですね。」

「ああ。・・・・四竜が出かけていたのはそのためだ。

だが、どうにもできなかった。

このままでは、病は世界に広がり、

人間たちは総て死んでしまうだろう。」

「・・・そんな!」

目に涙を浮かべ叫んだ紫姫の肩に、

雪解の大きな手が乗せられる。

「落ち着け。動揺してはならぬ。

巫女の力は精神状態に左右される。」

「・・・わかっています。

だから、私たち巫女には黙っていたのでしょう?」

紫姫はそう言うと、

雪解のローブの袖を掴んだ。

「貴方は、望むものを映す水鏡を持っているのでしょう?

私に、村を見せて!」

「それはできぬ。」

「私が、動揺するから?

ならば、私に術をかけて。

決して、身動きできぬように。

動揺が力に影響を及ぼさぬように。

私は、どうしても村の様子が知りたいの!」

 

必死で言い募る紫姫に、

雪解は小さくため息をついた。

 

「・・・仕方ない。

そなたは言い出したら聞かぬだろうからな。

だが、他の巫女たちには決して知らせてはならぬ。

・・・姫水にもだ。」

「わかってるわ。」

真剣な表情で頷いた紫姫に、

雪解は小さく苦笑して、

水鏡への道をあけた。

 

ゆらゆら波うつ水鏡には、

懐かしい村が映っている。

よく知っている人々が、

病にあえぐ姿をみるのは、

覚悟していても苦しかった。

 

「・・・五竜でも、どうにもできないの?」

「ああ。私たちがこの村を見守って、

今年で千年。

だが、今までに、こんなことはなかったのだ。」

苦しげに呟いて、

雪解は、水鏡を凝視した。

「村を守護する五竜として、情けない限りだが。」

「じゃあ、もう・・・。

何もできないの?

このまま黙って、人間が死に絶えるのを、見ているの?」

 

悲痛な紫姫の言葉に、雪解は、目を伏せた。

「・・・・・ひとつだけ方法がある。

だが、それは、成功する可能性が著しく低い。

成功しなければ、総てが消滅する。

私には、そんな無謀な賭けはできないんだ。」

「そんな・・・!」

なおも言い募ろうとした紫姫を、

目で制し、雪解は踵を返した。

「すまないが、どうしてやることもできぬ。

ただ、地上の人々が救えなくとも、

少なくともそなたたち巫女だけは、

なんとか守るつもりだ。

部屋で、心静めて祈れ。

この湖の底だけでも、結界を張る。」

そう、言い置いて、雪解は部屋を出てゆく。

 

この城の四方に結界を張りに行ったのだ。

紫姫は、それを黙って見送ると、

自分も自室に戻り祈る。

 

今、彼女にできるのは、

そんなことくらいだった。

 

 

 

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