黒竜の巫女

 

 

〜六章〜

 

水鏡の中の惨状は、

日を追うごとに酷くなってゆく。

 

紫姫は、悲しげにその様子を眺めた。

 

隣には、同じような表情をした雪解。

 

「昨日、叔母様が亡くなったわ。」

「そうか。」

ポツリと呟かれた言葉に、

雪解は短く答え、俯いた。

 

「もうすぐ、母上や、妹たちも・・・。」

 

声を詰まらせた紫姫は、

雪解の身体にもたれかかった。

 

「ここで、見ているしかできないなんて。」

 

自分の無力さが悔しくて、

情けなくて、

紫姫は、ぎゅっと手のひらに爪を食い込ませた。

 

結界によって、

なんとか湖の底は守られてはいるものの、

それでも、この不快感は拭えない。

 

雪解の身体にかかる負担も、

日に日に大きくなってきていた。

ただでさえ、普段から彼には、

自分の負の力という負担がかかっているのだ。

その身に宿る負の力は、

この昏い力に同調し、彼を引きずり込もうとしている。

紫姫も、そのことには気付いていて、

だからこそ、余計に苦しかった。

自分の無力さを、

これ以上ないほど感じさせる事実だ。

 

雪解は、ここ数日、もう、この部屋から一歩も出なくなった。

 

否、出ないのではない。

 

出られないのだ。

 

それほどまでに、この地を覆う力は強く、

それゆえに、手をこまねいて見ているしかない。

 

ふっと、水鏡に影がさし、

雪解は、僅かに目を見開いた。

同時に、空気が僅かに軽くなるのを感じる。

「今の、何?」

同じように感じた紫姫が雪解に尋ね、

彼は、小さく頷いて見せた。

「緑竜が帰ってきた。それと母上がな。」

「巫女姫様が?」

「ああ。・・・紫姫、

白竜の城に行け。二人はそこにいる。

私の代わりに外がどうなっているのか聞いてきてくれ。」

「わかったわ。」

紫姫は頷くと、慌てて部屋を出てゆく。

 

残された雪解は、水鏡を眺めたまま、

小さく吐息をついた。

 

 

「白竜様!」

「ああ。紫姫か。どうした?」

「黒竜様の使いで参りました。

緑竜様と巫女姫様がこちらにおられると・・。」

その言葉に、白竜は僅かに微笑した。

「そうか。そなたは母上に会うのが初めてなのだな。」

「はい。それと、外の様子を聞いてくるようにと。」

その言葉に、白竜は、

黒竜が地上の惨状を紫姫に教えたことを悟った。

 

「・・・こちらへ。」

 

白竜に導かれるままに、突き当りの部屋に入ると、

そこにはぐったりとした緑竜と、

一人の少女が座っていた。

「母上。」

少女は、白竜のその言葉にゆっくりと立ち上がり、

彼の隣に立つ紫姫を凝視した。

 

「そちらの巫女は貴方の新しい妻なの?」

鈴を転がすような声で、そう呟いた少女は、

母、と呼ぶには似つかわしくないほど若かった。

外見から判断すれば、まだ、十四、五歳にしか見えない。

「いえ。彼女は、黒竜の巫女です。」

 

「黒竜の巫女ですって?」

 

驚いたようにそう叫んだ少女は、

慌てて、紫姫の前までやってきた。

「本当に?本当にあの子の巫女なの?」

「ええ。そうです、巫女姫様。」

あの雪解を、あの子呼ばわりすることに、

この少女の母性を感じ、

紫姫は、思わず微笑んだ。

 

こんな少女の形をしていても、

彼女はやはり、神竜の妻となり、

五竜を産み落とした、

希代の巫女姫なのだ。

 

「・・・まさか、黒竜を選ぶ巫女がいるとは。

何故、知らせなかったの?白竜。」

「我らがこちらに来て五百年目に、

もう、妻の名は知らせなくてよいと貴女が言われたのですよ。」

白竜の言葉に、巫女姫は、眉を吊り上げた。

「黒竜を選んだ巫女が出たなら、

母の私に報告するのは、

長子の貴方の当然の務めでしょう。

私がどれだけあの子のことを気にかけていたか。」

そう言って、彼女は、紫姫の頬に手を伸ばした。

「貴女、お名前は?」

「紫姫、と。」

「あら、私と同じなのね。」

名を、糸姫という彼女は、そう呟くと、

愛しげに紫姫を眺めた。

 

「貴女は、黒竜を選んでくれたのね。

この千年もの間、

いいえ、もっとずっと長い間、あの子は独りだったわ。

だけど、貴女は、あの子を選んでくれたのね。」

そう言う糸姫の目には、大粒の涙が光っている。

「あの子はね、優しい子なの。

受け継いでしまった強大な力のせいで、

孤独を強いられてしまったけれど。

あの力のせいで、人からは恐れられてしまうけれど。

本当は、とても優しい子なの。」

「ええ。」

紫姫は頷いた。

 

「ええ。知っています。」

 

強く頷いた紫姫に、糸姫も頷いて見せて、

やがて、彼女の手を引いて、椅子に座らせた。

 

「ここに来たのは、外のことを知るためね?」

「はい。黒竜様が貴女と緑竜様がこちらに戻られたと。

それで、私に、外のことを聞いてくるよう言われたんです。」

「そう。・・・・外は、酷いものだったわ。

緑竜の力も、大分削られてしまった。」

そう言った糸姫の視線の先には、

いまだぐったりとしている緑竜の姿があった。

 

白竜が、彼に気を送り込み癒しているが、

なかなか気力は回復しない。

 

「あの力の正体はわかっているのですか。」

「いいえ。こんな事態は、私の生まれた時から、

一度も起きたことがないの。

でも、神竜、あの子達の父親は昔、

一度だけ同じ力を見たと言っているわ。」

その言葉に、白竜も、はっとこちらを振り返った。

「父上が?そのときはどうしたんです。」

 

「それは・・・。」

 

何か言いかけて、糸姫は、ふと言葉を止める。

そして、紫姫に向かって首を傾げて見せた。

「黒竜は、何か言っていた?」

「・・・ひとつだけ方法があるけれど、

成功の可能性が著しく低く、

失敗すれば、総てが消滅すると。」

その言葉に、白竜が驚いたように目を見張った。

「そんなことを?我は何も聞いていないが。」

「そうね。そのことは、黒竜しか知らないでしょう。」

「方法があるのなら、何故!」

声を荒げた白竜を、糸姫は静かに睨みつけた。

「今、彼女が言ったでしょう。

成功する可能性は、著しく低いと。

このままいけば、外の人間は全滅する。

けれど、その方法が失敗したら、

人間だけでなく、動物も、植物も、

貴方たちのような異形の者も、

総てが消滅してしまうのよ。」

 

「ですが、父上の時は、成功したのでしょう?」

 

なおも食い下がる白竜に、

糸姫は、大きくため息をついた。

 

「あの方がその方法を使ったときとは状況が違うの。

・・・そうね、多分、この事態は、私の所為なんでしょう。」

「母上の?」

「私が神竜と結ばれた所為で、彼の力は拡散してしまった。

総ての力を備えていたときの彼ならできたことが、

今の彼では出来ない。」

「それは・・・。」

絶句した白竜に、糸姫は苦く笑った。

「まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったわね。」

「でも、それなら、我ら五竜が力を合わせればその方法が使えるということですか?」

 

白竜の言葉に、糸姫は無言で首を振った。

「いいえ。・・・いいえ。そうではないの。

もしそうだったら、苦労はなかったでしょうに。」

悲しげにそう呟いて、

糸姫は紫姫の頬に手を伸ばした。

 

「鍵を握っているのは貴女。

この事態をなんとかするには、黒竜と貴女の力がいる。

けれど、力だけでは成功しない。」

「私と・・・黒竜様が?」

驚いた紫姫の声に、

糸姫は頷いて見せた。

「そう。黒竜もそのことはわかっているでしょう。

だから、貴女にそのことを教えたのだと思うわ。」

その言葉に、白竜が苛々と長い白銀の髪をかき上げた。

「だから、その方法とは何なのです。

黒竜と、紫姫の力があれば何とかなるということなのですか?」

 

「そう、二人と我の力があれば可能性はあるということだ。」

 

唐突に後ろから発せられた声に、

皆は慌てて振り返る。

そこには、淡い虹色の髪と瞳を持った美貌の男性が立っていた。

 

しかもその姿は透きとおっている。

 

「父上!どうしてここに・・・・。それに、その姿は・・。」

白竜の言葉に、神竜は静かに笑った。

「我はあの場所を動くわけには行かないのでな。力で分身を送っている。

黒竜が決断を下したら、この分身がそのための結界を張る。」

「黒竜の決断・・・?」

「そう。つまり、事態はそこまで深刻なのだ。

このまま人間が死に絶えるのを黙って見ているか、

万に一つの可能性に賭けて黒竜にその力を使わせるか。」

その言葉に、糸姫が悲しげに目を伏せた。

「・・・成功する可能性は低い上に、失敗すれば総ての命は全滅するわ。」

「それでも、もうこの方法しかないのだ。

糸姫、そなたの持つ竜玉に我が分身を移す。

それを持って黒竜の城へ行くのだ。

決断を、下さねばならぬ。」

 

神竜の言葉は、

重く紫姫の心に落ちてきた。

 

何かが、起ころうとしていた。

 

 

 

五章   七章

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送