椿〜狂気の華〜

 

 

恋しい

恋しい

恋しい・・・・

けれどこれは

許されぬ恋

だから私は

心を閉ざそう

身体までが

壊れてしまう前に────

 

 

「葵・・・葵、起きなさい。」

「ん・・・?」

頭の上から響くやわらかな声に反応して、

葵は、眠たげに目を開けた。

「・・・晴明様?」

「仕事が入りました。あなたもついて来て下さい。」

「え・・・?」

(珍しい・・・。)

と、葵は思った。

晴明は、養い子である葵のことを、

とても大切にしていて、

それゆえに、

危険を伴うこともある仕事には、

頼んでも、決して連れて行ってはくれないのだ。

仕事──晴明は、陰陽師だ。

だが、本人は、

「便利屋みたいなものですよ。」

と言って微笑っている。

ここに引き取られた当初は、

そんな言葉、信じていなかった葵だが、

晴明の仕事ぶりを見ているうちに、

考えが変わってきた。

泊り込みで行く仕事などは、

どうしているのか知らないが、

直接、この屋敷に持ち込まれた事件については、

葵もよく知っている。

彼は、確かに、不思議な術を使うわけではない。

ものすごい量の知識と、

書物と、

知恵を使っているだけだ。

「不思議なことには、すべて理由がある。」

というのが、晴明の持論で。

晴明は、その言葉どおり、

あらゆる事件を解いてきた。

「ひとよりも恐ろしい鬼はいないのですよ。」

ひとつの事件が終わるたび、

自分に言い聞かせるように

晴明は呟く。

その言葉は、

多分、真実で。

だからこそ、恐ろしかった。

「私も行くの?」

「ええ。本当は連れて行きたくないのですが・・・。

今回の相手は、女性ですので。

女性を連れてくるよう言われたのですよ。」

「今までだって、女性からの依頼もあったじゃない?」

「依頼人は男性なのですよ。」

「じゃあなに?晴明様と、その女性がどうかなることを、

心配してるってこと?」

葵の言葉に、晴明は苦笑した。

「まあ、そういうことになりますね。

と、言うか、普通なら、どんな男性もお目通りできぬ方なんですよ。」

「・・・それってまさか・・・。」

「ええ。依頼人は帝です。」

「と、いうことは、その女性って・・・。」

「藤壺女御さまです。」

「ふ・・・藤壺女御さまって・・・椿の姫のこと?」

「ええ。・・・あなたの、叔母上にあたる方です。」

藤壺女御。

母、楓の五歳離れた妹、椿。

その名と、

藤壺の中庭に咲き乱れる華とにかけて、

椿の姫と呼ばれている女性。

帝の妻の中では、

一番長く女御として暮らしている。

「叔母上・・・ね。一度も会ったこともないし、

母さまが死ぬまで知らなかったことだわ。」

「そうでしょうね。」

「で?姪の私が一緒なら安心だと?」

「そのようですね。」

ふう、と、葵はひとつ、息を吐いた。

「・・・依頼内容は?」

「さあ?なにせ、内密の依頼のようなのでね。

ただ、なにやら、体調がおもわしくないようで。」

「拒否権はなかったのね?」

「ええ。相手は、最高の権力者ですから。

それに・・・、雅直どのからも、

是非にと言われています。」

「・・・お祖父様から?」

「ええ。藤壺女御は皇女を二人しか産んでおられませんから。

皇子を望んでおられる雅直どのとしては、

心配なのでしょう。」

「・・・結局、そういうことなのね。

娘が心配なわけではなく、

娘の産むかもしれない皇子が心配だと。」

諦めたように、葵は呟いた。

「仕方のないことですよ。

あの方は、父親である以前に、

権力者ですから。」

「わかったわ。ついていくわ。」

「では、仕度を。昼前には出ます。」

言って、晴明は部屋を出て行った。

残された葵は、独り、小さく嘆息した。

「晴明、参りました。」

晴明の声に、

御簾のむこうの帝が身じろぎした気配がした。

「よく来てくれた。

藤壺女御・・・椿の姪とやらはどうした?」

「外で待たせています。

ご依頼の内容をお聞かせください。」

すでに、人払いしてあったらしく、

周りに人の気配はない。

「・・・椿が・・・物の怪に憑かれたのだ。」

「物の怪?」

「記憶が・・・ないと申すのだ。

私のことも、

乳母のことも、

父のことも、

皇女のことも。

何も覚えていないと。」

「それは・・・。」

「僧たちにも、見せたのだが、

物の怪が憑いている、と言って

祈祷するだけで、

一向に思い出す気配はない。」

「それで私を?」

「お前ならなんとかできるのでは、と雅直が言うのでな。」

「女御どのに会ってみるまではなんとも申せませんが。」

「わかっている。藤壺も、今、人払いしてある。

椿の姪と共に、椿に会ってくれ。」

「会う・・・とは?」

「御簾越しではない。御簾越しではわからぬだろう。

そのために、そなたの養い子、椿の姪を呼んだのだ。

今回は特別だ。

椿に会い、物の怪を祓ってくれ。」

「・・・わかりました。できる限りのことをいたします。」

「失礼いたします。」

そっと声を掛け、晴明と葵は、椿の部屋に滑り込んだ。

「・・・だあれ?」

かすかな声と共に、独りの女性が顔を上げた。

藤壺女御、椿だ。

「安倍 晴明と、申します。

こちらは、葵。

・・あなたの姉君、楓殿の娘です。」

「・・・姉・・・?」

一瞬、椿の瞳に、光が戻り、

すぐに消えた。

「姉ってだあれ?」

その瞳は、狂気を映している。

「・・・・狂気を演じてどうなります。」

晴明が、静かに言った。

「なんのこと?」

「あなたは、なんのためにこんなことをしているのです?」

「なにを言っているの?

いや、あなた、嫌い。

来ないで。

来ないで!」

「晴明様!」

突然、叫びだした椿に、

怯えたように、葵が晴明の手を引いた。

「私の目を見なさい、椿の姫。

あなたはわかっているはずだ。

自分の心も。

周りのことも。

この、葵のことも。」

「・・・わからないわ。

私が何をわかるというの?

私は誰?

あなたは誰?

私は、何も知らない。

出てゆきなさい。

私は・・・何も知らない!」

艶やかな黒髪を振り乱して、

椿は叫んだ。

「・・・そうやって、逃げ続ける気ですか?

永遠に。」

呟き、晴明は踵を返した。

「もう一度、よくお考え下さい。

そして、正しい決定をなさいませ。

・・・また参ります。」

それだけ言って、晴明はさっさと歩き出す。

「ちょっ・・!晴明様!」

慌てて、葵が彼を追う。

後には、

うつろな瞳をした椿が独り、

残された。

その瞳から、静かに涙が零れる。

「・・・だって、どうすればよかったの?」

答える人もいないまま、

彼女は呟く。

「私は、愛してしまったのよ。

許されぬ人を。

どうすればよかったの?

私は、椿。

帝の妻。

・・・どうすればよかったの?」

苦悩に満ちたその呟きは、

誰にも聞かれることなく。

その涙は、

誰にも見られることはなかった。

「晴明様!どういうことなの?」

「あの方は正気ですよ。」

「え?」

「記憶も、意志も、ちゃんとあります。

ただ、何も覚えていないふりをしているだけ。」

「どうして、そんなことがわかるの?」

「私は、本当に、狂気に囚われた人を知っています。

あの方が、そうでないことなど、すぐわかりました。

それにあの方は・・・、

あなたの母君のことを言ったとき、

一瞬、反応しましたから。

覚えていないなら、

何も、反応しないでしょう。」

「でも・・・本当にそうなら、何故?」

「それをこれから調べます。」

晴明は、独自の人脈を持っている。

だからこそ、都の外れに住んでいても、

最新の情報が入ってきているのだ。

「私に、何かやれることがある?」

「常に、私の傍にいてください。

何か・・・嫌な予感がします。」

「わかった。」

葵は小さく頷き、

晴明の衣の裾をぎゅっと握った。

「この前言ったとおり、また参りました。」

晴明の言葉に、

椿は、

ふわりと微笑んだ。

「どなた、でしたかしら?」

「・・・二条・・・孝義どの。」

晴明が呟いた名に、椿は一瞬、葵にもわかるほどに動揺した。

「驚かれましたか?」

「なんのことかしら?

二条殿・・・とは、どなたのこと?」

慌てて、動揺を隠し、ことさら無表情になった椿は

不思議そうに尋ねた。

「いつまで、自分を偽るおつもりです?」

「だから、何のことだと言っているでしょう?」

「あなたの、想いの相手についてですよ。」

「っ・・・。」

「あなたは、まだ、二条殿を諦めておられぬのでしょう?」

二条       孝義。

帝の相談役。

そして、入内前の、椿の恋人。

「ですが、わからないのですよ。

何故、今なのです。

あなたは、納得して、

女御入内を果たされたはずだ。

何故、今ごろになって・・・。」

「・・・あの方が、妻を迎えたからですわ。」

低く、呟いた椿の目は、

すでに、正気の光を宿していた。

「妻を?けれど、二条殿にはすでに三人の・・・。」

「それは、妻とは名ばかりの妾。

あの方は、約束したのです。

私を一生愛す証に、

妻は迎えぬと。

その座は、

一生、

私のものだからと。

なのに、

なのに、あの方は!」

「妻を迎えられた・・・。」

「私は、あの方を問い詰めたのです。

けれど、無駄なことでした。

あの方は・・・妻を愛していると。

私以上に愛していると!

そう、おっしゃったのです。

そして、私に・・・。

もう、お互いの道をゆこうと・・・。

私は、そんな言葉など聞きたくなかった!

私の心は、まだ、あの方に縛られたままなのに!

主上に愛され、

皇女を産み、

不自由ない暮らしをしても、

それでも、心は、

あの方の元にあったのに!」

それは、悲痛な叫びだった。

「だから、ご自分の心を偽ったのですか?」

「そうよ・・・。

そうしなければ、この身体、朽ちていったでしょう。

身体を守るために、

心を偽らなければならなかった。

何も、聞かず、

何も、見ず、

何も、考えず、

生きなければならなかった。

なのに、晴明様、あなたが、

私を目覚めさせた。

あなたは、わかっていたはず。

私が、正気であるにもかかわらず、

狂気を演じていたことを。

それなのに、何故、

私を正気に引き戻そうとなさいます?!」

ふ、と晴明はため息をついた。

「自分を偽り、

自分を演じることは、

呪に通じるのですよ。

あなたは、演じているつもりでも、

いつか、

演じているものそのものになってしまう。

私は、それを恐れているのです。」

静かに言った晴明に、

椿は薄く笑った。

「ふふ。嘘つきはお互い様ね。」

「え?」

「葵・・・と言ったわね。

こちらにいらっしゃい。」

手招かれて、

椿に近づいた葵は、

そっと、耳元で囁かれた言葉に

心底、嬉しそうに笑った。

けれど、

葵は。

最後に囁かれた言葉が

ずっと、心に残っていた。

「私は・・・演じ続けるわ。

もう、あの人以外どうでもいいの。

諦めようとしても諦められないの。

だから・・・、

本当に狂気に堕ちるまで、

私は演じ続けるわ。

元気でお過ごしなさい。

私は弱い心しか持っていないけれど。

あなたなら、大丈夫。

あなたは、

あの、姉上の娘なのだから。」

その知らせが

晴明の屋敷に伝えられたのは、

それから五日後のことだった。

「葵・・・葵!起きなさい!」

いつかと同じような台詞。

だが、それは、

前回より、ずっと切迫した声だった。

「・・・晴・・・明様・・?」

「今から、御所に行きますよ。」

「御所・・・?

まさか、藤壺女御になにか・・!」

「いえ。なにかあったのは、二条殿のほうです。」

「二条殿が・・・どうしたの?」

「夜盗に・・・襲われて・・・

つい、今しがた亡くなったと・・・。」

「そんな!・・・藤壺女御さまは?」

「わかりません。

でも、多分、知らせは届いているでしょう。

二条殿は帝の相談役だったのですから。」

「すぐに仕度するわ。」

「ええ。」

「椿の姫・・・。」

葵のかすかな声に、

目の前の佳人は、

ゆらりと顔を上げた。

「あなた、だあれ?」

その瞳は、

何も映してはいなかった。

「葵です!

あなたの姪です!

わかっているんでしょう?

演じているだけなんでしょう?

私を見て!」

「やめなさい、葵。」

静かな声と共に、

晴明が葵を抱きしめた。

「このひとは・・・、

もう、狂気に囚われてしまったのですよ。」

「そんな、だって!

たった五日前よ。

たった五日前に、会って話したのよ!」

「ええ。でも、このひとは、

私たちに会うずっと前から、

狂気を演じてきたんです。

ただ、二条殿のために。

その二条殿が亡くなった今・・・。

狂気と正気の境はなくなってしまったのですよ。」

「では・・・、もう私たちを見ることはないの?」

「ええ。これからずっと・・・、

椿の姫は永遠の狂気の夢の中で生きるのですよ。」

椿の咲き乱れる

冬の日のことだった。

「あの日、椿の姫が言ったこと、教えて欲しい?」

月を眺めながら、

葵が呟いた。

「あの日、あなただけに囁いていたことですか?」

「そう。」

「なんとおっしゃっていたんです?」

「晴明様は・・・、私のためにこの仕事を引き受けたんだって。

解決できない依頼だとわかっていながら、

断らなかったのは、

椿の姫は、私の一番近しい身内だから、

会わせたいと思ったんだろうって。」

「そんなことを・・・。」

「あたってるの?」

「そうですね。

あなたに誓ったあの日から、

私の永遠はあなたのものですから。」

「そっか。

ねぇ、晴明様。

椿の姫は、きっと今、幸せよね?

永遠に醒めない夢の中で、

きっと恋しい人と一緒にいるわよね。」

「ええ、きっと。」

そうして。

二人の顔には、

穏やかな微笑が浮かんだ。

「・・・・あなたの狂気も・・・甘かったのですか?」

真夜中。

独り、盃を傾けながら、

晴明は呟いた。

その手に握られているのは、

人の姿が写し取られた不思議な紙。

そこには、

晴明自身と、

一人の美しい女性が写っていた。

「今度こそ・・・

私は守り抜きます。

永遠の約束を・・・・。」

白い息と共に吐き出されたその言葉は。

誰にも聞かれることがなかった。

 

 

Fin.


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コメント:晴明様シリーズ、二作目です。

シリアス目指して、暗くなりすぎました。

相変わらず、救いのない話だ・・・。

晴明様の過去も絡めたかったのに、

最後にちょ〜っと伏線はってるだけに終わっちゃったし・・・。

次回こそは!

(多分・・・)

 

水弥月 結

 

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