彼は、穏やかな嵐の前の凪のように・・・・・・。

鏡に映る剣

二章


「あら、お姉様。どうされましたの?」

数日ぶりに見る姉は、仄かに泣き濡れた瞳で季鏡の部屋を訪れた。

「いえ・・・。あなたがどうしているかと思って・・・。」
「私は元気ですわ。お姉様の方が疲れていらっしゃるみたい。大丈夫ですか?」

昔から夢見がちで泣き虫だった姉は、よくこうやって自分の元に来た。
「妹の様子を見に行く」という名目で、己を季鏡に慰めてもらいに来るのだ。
昔から変わらない、愛しい姉。

「ええ。伯符様はよくしてくださるわ。でも・・・。」
「でも?」
「・・・私は恐ろしいの。あの方の荒々しさが。」

二人の父は、穏やかな、穏やかすぎるような人だった。
男というものを、彼しか知らぬ姉には、あの方は信じられないほど荒々しく見えるのだろう。

婚儀の時の彼を思い出し、季鏡は姉に気付かれぬようふと笑う。

姉とは違い、幼い頃は城下の少年たちと共に遊んでいた季鏡には、伯符がそれほど恐ろしいとは思えなかった。
もちろん、戦場での彼は違うのだろうけれど、姉に接する彼は、随分と自分を抑えているように見えた。
明らかに彼に怯える姉に、彼なりに気遣っているのだろう。

「あなたはいいわね。公瑾様は、穏やかで静かな方ですもの。」

ため息混じりに呟かれた言葉に、季鏡は苦笑する。
穏やかで静か。
確かに。
だが、その穏やかさは、嵐の前の凪のように、不穏なものだ。

姉にはわからないだろう。
あの人の深い場所の恐ろしさが。

あの人は、見た目どおりの人ではない。

華奢で、静かで、穏やかで。
音楽を好み、皆に慕われ。
それでも、彼はあの伯符の右腕にして孫軍の優秀な参謀なのだ。

優しいだけでは、軍事家にはなれまい。

そこまで考え、季鏡は自分に苦笑した。
こんなことは女が考えても仕方のないこと。
男に生まれなかったことをどれだけ嘆いても、今更男になれはしない。

『お前が男だったなら。』

何度聞いたかもわからぬ父の言葉。
それでも。
それでも自分は。

どんなに書物を読み漁り、戦術を覚え、戦況を読み、武術に秀でても。
それでも自分は、初夜の床で震えてしまうほどには女なのだ。

なんと皮肉なことか。

「お姉様を守るために、伯符様は戦われるわ。そのための荒々しさには慣れなければ。」

もっともらしい妹の言葉に、梨鏡は微笑む。

「そうね。ごめんなさい。読書の時間だったのでしょう?」

季鏡の文机に置かれているものを見て、梨鏡がすまなさそうに言う。
それを肩をすくめて受け流して、季鏡は小さくため息をついた。
あれも、自分にはいらないであろう知識。
それでも読まずにはいられないのは、なんの性か。

穏やかな風の中で、季鏡は嵐の到来を感じて僅かに身震いした。

次章



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