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紅竜の巫女

〜十章〜

翌日。
桜姫は、紅竜と共に、糸宝の眠る部屋の前にいた。

氷漬けにされたその部屋の前には、蒼竜と黒竜も揃っている。
桜姫は正装で彼らの前に立ち、巫女としての礼を取った。

紅竜は、兄弟たちにも真実を告げていなかった。
彼らは、桜姫と同じく、今回の儀式は糸宝を解放するだけのものだと思っている。
だが、紅竜だけは、密かに、糸宝に対するものとは別の術を練っていた。

黒竜が練り上げた儀式のための陣に、紅竜と桜姫が向かい合わせに立つ。
蒼竜は自分の術を自らの力として引き戻すため、氷漬けになった壁にその両手を当てた。
黒竜が、部屋全体を覆う結界を張り、巨大なエネルギーを内包している糸宝の身体を幾重にも重ねた別の結界で覆った。



「行くぞ」



黒竜の言葉に、三人が頷く。
ぼうっと足元に描かれた陣が光り始め、紅竜と桜姫は同時に瞳を閉じた。

蒼竜の触れている場所から、徐々に氷が溶け始める。
緩んだ扉の隙間から、灼熱の気が溢れ出し始めた。

その熱からは、黒竜の結界が守ってくれている。
紅竜と桜姫は、共に自らの力を少しずつ手繰り寄せ始めた。

細い糸のようなイメージの力の流れが、糸宝の身体から自分たちの身体へ戻ってくる。
その度に、糸宝の身体の輪郭は、不安定に揺らいだ。

氷漬けだった部屋が、どんどん水浸しになって溶けてゆく。
部屋の中に膨れ上がった力は、黒竜の結界に阻まれて、その中で暴れまわっていた。

ぱりん、と硬質な殻が割れるような音がして、糸宝の肌がガラスのように脆く崩れ始める。
それは、紅竜と桜姫の力で形を留めていたその器が、形を保てずに剥がれ落ちていく音だった。

瑞々しく美しかった糸宝が、端から少しずつ崩れていく。
指先が消え、爪先が消え、美しい衣が消えていく。
それを、桜姫は見開いた瞳で見た。

引き戻し始めた力は、もう戻すことは出来ない。
自分の霊力がどんどん高まっていくのと同時に、糸宝の存在が儚くなっていくのがわかった。

実際に存在する壁などないかのように、桜姫の瞳は糸宝の姿がありありと映っている。

(私の赤ちゃん)

産んであげられなかった存在を思い、桜姫の眦から涙が溢れた。
紅竜の指が、その雫をそっと拭う。

子供を二度亡くすことに対する桜姫の嘆きが、紅竜にはひしひしと感じられた。

その喪失は、どちらも紅竜のせいだ。



二人の力が完全に引き揚げられた瞬間、最後まで残されていた糸宝の顔がさらりと崩れて掻き消える。
同時に爆発的に高まった暴走した紅竜の気を、黒竜が全身全霊で受け止めた。

その気を体内で殺し、再生させて、紅竜に戻す。
その作業は、死と再生を一人で司る黒竜にしか出来ないことだった。

蒼竜もまた、長年部屋を安定させていた自分の力を引き戻し、その衝撃に荒い息をついている。

兄弟がそれぞれの役割に意識を集中させているのを見て取って、紅竜は密かに練り上げていた術を解放した。

細く、緻密に練り上げられた術の網が、桜姫を絡め取る。
彼女はその感触にはっとして、泣き濡れた瞳を見開いた。

けれど、もう遅い。
術は、既に発動していた。

糸宝が消えたときのように、今度は桜姫の身体が端から消えていく。
けれど、それは消滅の証ではなく、移転の証だった。

時を遡り、桜姫の生きていた時代へ彼女の身体が移されていく。



(どうして!)



紅竜は、声にならない声が叫ぶのを聞いた。



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