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紅竜の巫女

〜ニ章〜

「信じられないのよ! いい加減にあの性格治したらどうかしら! 長生きだけはしてるくせに!」

お茶を飲みながらもまだぷりぷりと怒っている桜姫に、 巫女たちはやれやれとため息をついた。
彼女がこうして怒っているのはいつものことで、 それを他の巫女たちが呆れたように聞き流すのもいつものことだ。

最初は桜姫のテンションに驚いていた最年少の紫姫も、今では慣れて、微笑ましく 見つめている。

どんなに怒っていても、実際、桜姫は紅竜を誰よりも愛しているのだ。
紅竜と桜姫は喧嘩が耐えないけれど、 実際は、どの竜王と巫女よりも強い絆で結びついている。

その確たる証拠が、糸宝の存在であった。

巫女たちは皆その事実を知っていて、だからこそ桜姫の言動を黙って見つめていた。

本来ならば、夫とはいえ、竜王である相手を悪し様に言うことは許されない。
二人だけのときはともかく、対外的には竜王を敬わなければならないのだ。
だが、桜姫に関してだけは、誰も何も言わない。
それは、紅竜がその桜姫の言動を許しているせいでもあったし、 皆が、そうしなければやっていられない桜姫の苦悩を知っているからであった。

けれども、感情のままに言葉を吐きだす桜姫は、誰かがどこかで止めないと、 後から自分が後悔するようなことまで口走ってしまう傾向にある。

そろそろ頃合だと判断し、巫女の中で最年長の虹糸が話題を変えるためにかちゃりとカップを置いた。

「そのくらいにしておきなさい、桜姫。今日は紫姫の話を聞きに来たのだから」

静かながらも凛とした声に、桜姫はまだ言い足りなさそうにしながらもしぶしぶ口を閉じる。
確かに今日は、紫姫から何か話があると言われていた。

当の本人は、仲のよい巫女 姫水と共に末席で語り合っていたが、 虹糸の声に、ぱっと居住まいを正した。

歴代の巫女の中で、一番巫女としての力が強い紫姫は、 それでも、最年少であることをきちんとわきまえていて、 決して自分からはでしゃばったりしない。
それを、他の巫女たちも好ましく思っている。

そんな彼女が、今日は大切な話があるというので、 巫女たちはいつもよりも長く、この場所に留まっているのであった。

最年長の虹糸が小さく頷き、 他の巫女たちも会話をやめて紫姫を見つめる。
先ほどまで一人の少女のように怒っていた桜姫も、 巫女の顔になってきちんと座りなおしている。

巫女たちに見つめられて、思わずうつむいてしまった紫姫の手を、 隣の姫水がぎゅっと握る。
それに励まされたように、紫姫は顔を上げた。

「実は、お知らせしたいことがあるのです」

静かな紫姫の声に、巫女たちは小さく頷く。
わざわざ皆を集めるからには、 重要な話に違いない。

黒竜の存在は長いこと禁忌のように扱われ、 彼に会ったことがあるのは、嫁する相手を選べるようになった 六人目の巫女、瑠糸以降の巫女だけであった。
それも、最初に五竜を紹介された一度きりだ。

だが、今から十年ほど前に起きた異変と、 黒竜の力の解放のことは、 皆それぞれ竜王から聞いて知っていたので、 紫姫がどれほどの苦痛と引き換えに黒竜の力を受け入れたのか、 そのおかげでどんなことになったのか、 よく理解していた。

力を制御できるようになったとはいえ、 黒竜は滅多に自分の城を出ることはない。
そのため、巫女の中には、未だ黒竜の顔を知らぬ者もいた。

だが、彼の巫女である紫姫が話があると言うのならば、 黒竜にまったく関わりのない話でもないだろう。

竜王の巫女として、きちんと聞かねばならぬ話なのは間違いない。

「紫姫。遠慮しないでお話しなさい。私たちは皆、貴女の味方です」

虹糸の隣で、二番目の巫女 糸緒が優しく語り掛ける。
その言葉に、紫姫は深く頷き、ふっと息を吐いた。

どうも、相当緊張しているようだ。
事情を知っているらしい姫水と咲姫が、両脇から彼女を励ますように 手を伸ばしている。

「実は…先日、黒竜様に頼んで巫女姫様をお呼びいただいたのです」
「お義母さまを?」
「はい。姫水様と、咲姫様にも相談したのですが、やはり巫女姫様に ご相談するのが一番だと。それで、来ていただいて…はっきりしたんです。 私、黒竜様の御子を宿しました」

その言葉に、巫女たちは目を見開く。

巫女は、妻。
巫女としての三つ目の務めは、 竜王の巫女であると同時に、 一人の男としての竜王の妻となること。

心も身体も寄り添い、彼らを支えること。

だが、紫姫の数百倍、数千倍の夜をすごしてきた巫女も、 子を宿したことは一度もない。

それは、五竜が半神であるためだろうと言われてきた。

そもそも、神は不死である。
死という概念がないといってもいい。

あるのは死ではなく消滅だ。
消滅というのは後には何も残らないということ。
それゆえに、神に子を成すという概念もまた存在しないのであった。

ただ、次代の神を、人は神の子と呼んでいるだけだ。
神と、その次代の神に血のつながりというものは存在しない。

だが、遙か遠い昔、五竜の父である神竜は、力を持つとはいえただの人間である少女と恋に落ち、その結果、少女は五人の息子を産み落とした。
それは、産み落とす存在である少女が人間であったためで、それゆえに神である神竜に子供が産まれ、同時にその子供は神でも人でもない半神として生まれ出ることになったのであった。

神が消滅するとき、普通はその消滅と同時に次代の神が出現する。
竜神の場合は、受け継がれるのはその竜玉のみで、それゆえに竜は子供に竜玉を受け継がせる、と俗に言われているのだが、消滅する神と出現する神は所持する竜玉以外はまったく共通点のない存在である、というのが普通であった。
だが、今代の神竜は人間と結ばれ、その結果、五竜という半神が生まれてしまった。
今は神竜も五竜もなんら力の衰えることなく過ごしているが、次代は一体どうなるのかと眷属の間で囁かれていたのも事実。

だが、それも、紫姫の妊娠により、違う希望が出てきたようであった。

「紫姫はあの夜、黒竜様より竜玉を取り出した娘。黒竜様以外の竜王は竜玉を受け継いでいないというのが巫女姫様のお見立てなのだ」

咲姫の言葉に、巫女たちは頷いた。

「皆も知っての通り、竜神はその竜玉のみを次代に受け継ぐ存在。だが、神竜様は今もその手に竜玉を持ち、黒竜様もまた自らの竜玉を携えていらっしゃる」

虹糸がそう告げ、ゆるりと紫姫を見つめた。

「恐らく神竜様が巫女姫様と結ばれ、五竜を産み落とされたことで竜神の存在そのものが変質してしまったのではなかろうか」

咲姫の言葉に、皆はそれぞれ考え深げに顔を見合わせる。

そんな中、紫姫は愛しげに自らの腹部を見つめた。

「実は、黒竜様の竜玉が数日前に突然消えたのです。私が取り出した竜玉は、黒竜様の寝室に置かれていました。それが真夜中に突然消え失せ、その力は私の胎内に入ったのです。黒竜様はそれを見て巫女姫様と連絡をお取りになり、巫女姫様は神竜様とそのことについて調べられた上で恐らく私が懐妊したのだろうと。この子が恐らく次代の竜王なのだろうということです」

「蒼竜様ともお話ししたのですが、五竜の中で、もっとも竜神としての力を濃く受け継いだ黒竜様の中に竜神の証である竜玉が存在し、黒竜様がその力を制御できるようになった今、次代にその玉が受け継がれたのではないかと。これからどれだけの時間をかけてだかはわかりませんが、次代の竜神は紫姫の胎内で育ち、産み落とされて後は代替わりまで次代の竜神として神竜様や五竜の皆様の教育を受けるのではないかということなのです」

紫姫を支えるように傍らに寄り添った姫水が言い添える。
その説明に、巫女たちは各々頷いた。

そもそも人間である巫女たちが嫁いだ時点で竜神の連鎖は変質してしまっている。
だが、それを正すために、次代は紫姫を通じて一人だけ産み落とされるとしたら、それは理にかなっているような気がした。

ともかくも、それはめでたいことである。
巫女―特に古参の巫女たちは、皆それぞれ次代のことを案じていたのだ。

人の世も、どんどん広がっている。
五竜は、竜金村の湖を中心に世界の半分ほどを守り治めているが、そのうち、それだけでは足りなくなるほどに世界は広がるであろう。

竜王の住まう世界は、高次元と呼んでもよい場所にある。
人間は、人間の世で、人間に治められていると思っているが、実のところ、人間の世界はすべて竜王や、その他の神格を持つ存在によって治められているのだ。

人間が言うところの『自然』というものが、竜王と、そしてその妻たる巫女そのものであった。

巫女たちは、それでも確かに人間であったので、立場としては奇妙な場所にいた。
竜王と契る事で限りなく神格に近い存在ながら、ヒトとしての意識も持っている。
それゆえに彼女らは、竜王たちよりもずっと、人間の世界を案じているのであった。
そしてその想いは、勿論、最初に神格の者に嫁いだ巫女姫が一番強い。

だからこそ巫女たちは、自らの祖先であり、母である巫女姫、糸姫を、尊敬と畏怖を持って想っているのであった。

「巫女姫様がとても喜んでおられるのです」

姫水の言葉に、巫女たちは頷いた。

糸姫は、自らが神竜と結ばれたことで世界の拮抗が崩れたことをとても気にしている。
そのせいで次代が生まれないのだと、密かに悩み続けていたことを、古参の巫女たちは識っていた。
その想いをぶつけてしまうのが嫌で、彼女は五人目の巫女、伽糸を迎えて後は、五竜たちの居城に足を向けなくなったのだ。

あの、世界の終わりの日、彼女が緑竜に連れられてこの湖の底を訪れたのは、ひとえに神竜に身代を頼まれたからであり、それは実に、五百年ぶりのことであったのだ。

伽糸より後の時代の巫女たちなど、糸姫に会うのはあの時が初めてであったくらいなのだ。

それほどに、糸姫は自分を責めていた。
若く美しかった娘は、外見はそのままに果てしなく永い刻を生き、それゆえに、自らの罪を悟ったのだ。
神竜の激情に流され、恋を言い訳にして、身勝手に世界の摂理を曲げてしまった己の罪を。

神竜を愛したことを後悔はしていなくとも、それゆえに生み出された結果は罪であった。
咲姫のように、無理矢理湖に投げ込まれた巫女もいる。
それは、すべては糸姫の罪の結果であったのだ。

それゆえに糸姫は巫女たちを避け、一人、神竜の下で孤独に生きてきた。
息子である竜王たちに会うのも、およそ数百年ぶりであったという。

子を想う心は人間の心そのものであったのに。

だが、だからこそ、糸姫は今回の紫姫の懐妊を誰よりも喜んでいるのであった。
その子が神竜としての力を持っていたならば、もう巫女の犠牲は必要なくなる。
十人目の巫女、紫姫を最後に、湖に投げ込まれる娘はいなくなるのだ。

巫女たちは皆、それを察し、複雑な笑みを浮かべた。

巫女たちは誰もが、それぞれの想いを心に秘めつつ竜王の妻として生きてきたからだ。

だが、勿論次代の誕生は喜ばしいことだ。

最年長の虹糸が、おめでとう、と呟くと、僅かに不安そうな顔をしていた紫姫が、ぱっと微笑む。
紫姫も女である。
巫女たちが誰も子を生まなかったのに、自分だけが子を宿したことに対する罪悪感のようなものがあった。

勿論、この子供を生むのは、危険が伴う。

姫水が言及したように、いつまでその子が腹の中にいるのか皆目見当もつかなかったし、その子を産み落とすときは、黒竜を受け入れたとき以上の苦痛を伴うかもしれないということもわかっていた。

ヒトの身で、神を産み落とすのは、その命さえも危険にさらすということだ。

だがそれでも、紫姫は子を産むという女だけに与えられた作業をその身に受けたことを嬉しく思っていた。
たとえその子を産み落とすことで自らの命が消えたとしても、その子の存在は五竜と巫女たち、否、世界すべての希望になることを理解していたからだ。

巫女たちもまた、そのことを理解したうえで、口々に祝福の言葉を告げた。

すでに紫姫の腹の中の子は、彼女ら全員の子になっている。
巫女たちすべてが、母であったのだ。

だが、そんな中で、桜姫だけが、苦しげな表情で眉を寄せていた。

虹糸が目ざとくそれに気付き、気遣わしげに吐息をつく。

彼女には、桜姫の気持ちが手に取るようにわかった。
桜姫には、この知らせは酷過ぎる。

だが、桜姫は気丈に微笑むと、立ち上がり、紫姫の肩にやわらかく手を置いた。

「おめでとう、紫姫。身体にはくれぐれも気をつけるのよ?」

優しい言葉に、紫姫は頷き、それでも桜姫の隠し切れない苦しみの表情に、瞳を僅かに翳らせる。

桜姫もまた、紫姫のその反応に、自らの失態を悟ったのだろう、ふっと踵を返し、扉に向かった。

「ごめんなさい。私はこれで失礼させていただくわ。あのわからずやの紅竜様にもう一度直談判しなくては!」

わざとらしいほど明るくそう告げた桜姫は、振り返ることなく部屋を出て行く。
それを見送り、虹糸は小さくため息をついた。

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