文字サイズ変更ボタン→ SS


紅竜の巫女

〜八章〜



『お前が本当に望むなら私はこの力を揮う事を拒みはしない。だが、私は一度桜姫を絶望に追いやった負い目がある。私の文献の所為で彼女は死の苦しみを味わった。私は二度、それを彼女に与える気はない』

二人の巫女を解放したいと告げた紅竜に、黒竜はそう言った。

『お前が本当にそれを望むなら、桜姫とよく話し合い、彼女の承諾を得るんだ。彼女が地上へ戻ることを望むなら、私はその願いを叶えよう。だが彼女がそれを拒むなら、私はお前の頼みを聞くことはしない』

きっぱり告げられた次兄の言葉を思い出し、紅竜はため息をついた。

桜姫は、紅竜を愛している。
どれだけ傷つけられても、糸宝のために限界まで力を揮わなくてはならなくても、それでもそれを受け入れるほどに、桜姫は紅竜を愛している。

普通に告げて、解放を受け入れられる女ではなかった。

だが、紅竜はもう心を決めていた。
紅竜が自分で一度決めたことは、相手が長兄であれ次兄であれ妻であれ、覆すことは出来ない。
紅竜は自分自身のその性分をよく知っていた。

だから、紅竜は嘘をつくことを決めた。
嘘をついて、桜姫を裏切って、そして彼女を解放することを決めた。



それはひとえに、彼女を愛するがゆえに。



降り立った紅珊瑚の城。
紅竜の自室では、桜姫が薄絹を纏って紅竜の帰りを待っていた。
紅竜が、そう言い置いていたからだ。

彼女は寝台に横たわったまま、仕事のための書類に目を通していた。

口は悪いが根が真面目な桜姫は、仕事を決しておろそかにしない。
紅竜は、彼女に与えている負担を思い、目を伏せた。

糸宝に与えている力を引き戻せば、自分一人で何とかなる。
次代が生まれるのならば、力の交歓も必要ないだろうと紅竜は思った。

次代が生まれるのは、力が安定している証だからだ。

紅竜が消していた気配を開放して寝台に歩み寄ると、桜姫がハッと顔を上げた。

「吃驚した! 気配を消さないで頂戴」
「すまない。少し驚かせようと思ってな」

冗談めかして告げると、桜姫は膨れたまま、紅竜の長い真紅の髪を引っ張った。

「ちゃんと贈り物は渡してきた?」
「ああ。紫姫がお前に礼を伝えてくれと。大層喜んでいたぞ」

そう告げると、不安そうだった桜姫の顔がぱっと綻んだ。

「そう! よかった……」

黒竜の話からすれば、桜姫は紫姫の懐妊がわかったときにあまり表立って喜べなかったようだから、紫姫がどう思っているのか心配していたのだろう。

紅竜はそんな彼女が愛しくて、そっとその頭を撫でた。

「なぁに?」
「いや。少し、お前に話があってな」
「話?」
「ああ、大切な、話だ」

いつもと違う紅竜の表情に、桜姫は寝台の上に身を起こし、姿勢を正す。
こういう察しのよさも、紅竜の好む桜姫の特質だった。

彼女が愛しい。
だからこそ、彼女に嘘をつく。

紅竜はそう決意し、桜姫のその紅い瞳を見つめた。

「実は、な。糸宝を解放してやろうと思っているんだ」
「……解放?」
「ああ。まだ彼女の中に魂の欠片が残っているうちに、彼女を解放したいと、思っているんだ」

お前も、一緒に、という言葉は、音にはならずに紅竜の中だけに響く。
桜姫は、紅竜の言葉に首を傾げた。

「どうやって?」
「黒竜の力を借りる」
「待って。解放って、糸宝様をあの封印から解き放つと、そういうことなの?」
「ああ。そうだ」

短い肯定に、桜姫は息を呑んだ。

糸宝は紅竜のたった一人の妻であり、永遠にあの氷漬けの部屋に封印されたままのはずだった。
その彼女を解放するというのか。

紅竜は桜姫のその驚愕を見て、哀しく笑った。

「ずっと、ずっと昔から考えていたことだ。彼女を喪った時から、ずっと考えてはいた。ただ、その方法が見つからなかっただけだ」

紅竜はそう言って、薬指に嵌められた指輪を見つめた。
それは、糸宝の簪と揃いで作ったものだ。
それを、紅竜は一度も外したことがなかった。

それが、桜姫の髪に引っかかったこともあった。
けれど桜姫はその痛みを不快だと思ったことはない。
それは、最初からそうだったからだ。

ただ、哀しかった。
そして、紅竜自身もその哀しみに飲み込まれているのだと、桜姫はよく知っていたのである。

「黒竜の力が制御できるようになって、彼女を解放することが出来るようになった。それでも、俺はずっと迷っていたんだ」

独り言みたいに呟いて、紅竜は桜姫の髪を撫でる。
もうずっと永いこと、紅竜の触れる体温は、桜姫のものだった。

もう、糸宝の感触を思い出せない。

ほんのつかの間、妻であった糸宝。
一度だけ抱いた身体。

彼女と結ばれた瞬間が、彼女との別れのときだった。

それを、紅竜はずっと嘆き続けてきた。
彼女への自責の念から、彼女しか愛さないと決め、村のために湖に入り、紅竜のためにこの城へやってくることを決めた桜姫を拒絶したのは、紅竜の罪だった。
愛してくれる生身の女に甘えながらも、その女を拒絶し続けたのだ。

それがどんなに酷なことだったのか、今の紅竜にはわかっていた。
桜姫を、愛するようになったがゆえに。

(だから、これがお前に返せる俺の唯一の愛だ)

紅竜は微笑って、桜姫をまっすぐ見つめた。

これからつく嘘を、桜姫が許すよう、祈りながら。

七章   九章

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送